2009年11月27日金曜日

われわからず ゆえに われなし

モモです

われわからず ゆえに われなし
などどいっていると
神様がみなさまを作りました。言うことききなさい

1000年以上は教会のしもべとなります。
ここで
デカルトさん
われ思う、ゆえに われあり
で徹底的に、理論展開していきます。
ベクトルなんて概念はすばらしいですよね

いま幹細胞、万能細胞とかの本読んでいます
細胞は全て共通の設計図をもっていて
その部位での、役割をしています。
人間だと、組織の椅子のポジションがあり
その椅子に座る人は競争になります。

他方細胞の場合はただそこにいたからです。
大様、殿様ような江戸時代、職業選択の自由がないころの話かもしれません。
実は細胞は全ての能力があり、脳細胞にも、筋肉にも、血液にもなんにでもなれそうな
話がありました。
それらが60兆個あつまり、規則ただしい役割をして、私がここに記載しているのです。

なんで?
ときかれると、われわからず ゆえに われなしになります。

意識とか、は細胞が集まり、神経系を発達させた究極の状態で生まれたものだと
思います。
この目的は、細胞が存続するために、肉食獣を認識して、逃げたり、戦ったりするため
生存のために発達したと思います。
ここで
人間はこの高度なシステムを思考に使い、言葉、道具など発明してきました。
これって本来の脳や目、手の使い方ではないのでは?と
思い始めております。
後から、教えてもらわないと、備わらない機能ですよね。

遺伝子が存続のために教えてくれたものは無意識だとおもいます。
お母さんのお乳をすうとか
目がみえるとか
意識は後から付け加えられたオプションなのですが
人間はこのオプションの世界で生きております。
特に都市生活者はその傾向がつよいと思います。

遺伝子が自分の存続のために発達させてきたシステム
そのシステムが巨大化し、今の私となってしまった。
今も60兆個の細胞が変化しながら私をささえてくれております。

ほんとうに奇跡です。

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