2010年8月13日金曜日

お堀のお水

モモです

お堀のお水です。

たぶんあっているとおもいますが
お堀の水面の高さは一定とおもいます。

となるとお堀の高さは
半蔵門あたりの高さは最高です。
桜田門 大手門 毎日新聞のある竹橋あたりまでは
ほぼFLATであり、一番低い位置です。

さて
このあたりには一面石垣があります。
石垣は塀、壁のように構築されており
後ろがわの土地は低いです。

おもしろいことに
桜田門を堺に登りになりますが
石垣ではなく、そのまんまの土の斜面です。
頂上にほんの2mほどの石垣はありますが

築城のさい
低いところには石垣による塀をきずき
高いところは、地形を活かして、そのまま掘り進んだ形状です。

江戸城は斜めの大地に構築されております。
すごいですよ
お堀の水は国会議事堂あたりからのさらに山からの水が流れ込みます。
おもしろいのは
国会議事堂の裏は山王で崖下になります。
ピークは半蔵門であります。最も重要視されていた門のようです。
さて
お堀の水の行き先を調べてみると
竹橋から雉子橋
この雉子橋は実は、毎日新聞社の裏 共立女子大学の前にあるのですが
上は首都高速のすごいところです。

たしかにお堀の水は接続されていることが確認できました。
あとはこれが隅田川に流れていればいいのですが

モモは足で調べました

途中鎌倉橋なるものがあり
説明では、このあたりに、鎌倉より運んだ石材を貯蔵した場所とありました。

日本銀行あたりには常盤橋がございます。
そしてその先はお江戸日本橋でございます。
さらに行くと永代橋のすぐ近くで隅田川と合流します。
川をサーチするのですが
上は首都高速、そして川ぞいには建物だらけであり
川がそこにあることを意識できない環境です。
だからおもっきり意識しないと、見つかりません。
でもこのルートは江戸城に物資を運ぶ上での生命線であったわけです。

また隅田川より、船でこの川を登って行くと
否応なしに、天守閣が望める構成になっていたようです。

また水も必要です。
どうしたかというと
お茶の水から水を引きこんでいたわけです。
本丸あたりの高さまでに引き込めばそれで目的達成です。

当時の人はこの場所に築城するにあたり
飲み水、お堀の水、物資運搬の水路を熟慮した上で場所を決めたのです。
江戸城はまさにその位置にあったのです。

江戸城は近代最後の城ではありますが
昔の人の知恵をほんとうに感じるのでありました。

それにしても
昔の水路の上はことごとく首都高速でありました。
また
その首都高速はこの時期、毎日新聞の後ろあたりで
足場をぶら下げて、ペンキ塗ったり、補強工事に余念がないのでありました
とさ。

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